自然との共生

姉妹団体の「第3世界ショップ」を経由してインターンに参加した亜細亜大学の永山さんによるレポートです!


私にとって楠クリーン村にインターンに参加させていただく前のここのイメージは「自給自足」でした。薪でお湯を沸かして太陽光の電気を使い、畑で育てた作物を食べる生活をするのだろうなといった単純な想像をし、自給自足の生活とは一体どんな暮らしをするのだろうとワクワクしていました。単純な想像をしていた、というのはそういった生活をすることの意味や生活してどうなるのだ、というところまでは考えていなかったということです。

私は、「この世界はグローバル化により、利益獲得に必死になっている状態で人間が人間らしく生きられていない」と感じる時がよくあります。その考えの中で、楠でのインターンを応募しました。なんでも簡単にサービスもモノも手に入る世界(自分の住んでいる東京)からここ()へ、人は贅沢が無くても他のモノに頼らなくても、どのようにして自立した生き方ができるのだろうか知りたいという思いで来ました。




楠へ実際に来て2週間生活をした結果、「自分はこの自然界の一部に過ぎないのだ」ということを感じました。これは様々な生き物が暮らしている楠で、自然に直接触れながら作業と生活をしての感想です。私の楠での生活は毎朝の茶畑の草取りから始まるのですが、除草剤を蒔いていない自然な状態の茶畑の草取りをする際、毎回そこに住んでいる虫を見かけ、蜘蛛の巣も張ってありそれを取りながら草も取っていました。

また、草刈り機で草を刈っていた際にも草むらから様々な虫が逃げていくようにたくさん出ていくのを目にしました。ここにも命がたくさんあるのだなあと思いつつ、どちらとも、虫には申し訳ないなと思いながら作業を進めていました。人間はそこに暮らすために「邪魔だ」と思ったものはほとんどのものを排除することができます。しかし、他の生き物や自然にとってはそれはどうなのだろうか?ということをここでの生活をきっかけに考えるようになりました。人間がこの地球上に存在する以上は私たちも何かの生を頂かなければなりませんが、むやみやたらに生を頂こうとするのは間違っています。同じ地球に存在している生き物であり、その自然の恵みを頂くことは感謝するべきことです。自然に支えられて生きることができている私たちは、自然界の一部に過ぎないのではないかと考えました。

それでもやはりここへ来る前の自分は、この様にして生活することができているのは自然のおかげでもあるにも関わらず、この世界に生きていることは何も変哲もない当たり前なことだと普段の生活の中では思っていました。そのように思っている人は私以外にもこの世界にはたくさんいると思います。「生きる」のベースである衣食住が満たされた結果、何でも手に入るとさらに上のものを欲し、ベースにある衣食住の存在は忘れ去られてしまう傾向にあります。私は、人間がこのように自然のおかげで生きることができているということを自覚することなくその自然を一度も感じずに死んでいくのは勿体ないことだと思います。

しかし私は気づくことができたので、その気づきを決して手放さずに自分は自然と共に生きているのだということを常に意識して生きていきたいです。贅沢なものを得てばかりの人生よりも、自然のものを感謝しながら頂く方が私は人間らしさを感じるので、そういった人間らしさを持った生き方をしたいと思っています。


亜細亜大学 国際関係学部 多文化コミュニケーション学科
4年 永山涼



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