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今日は、なんの日?<蕨の日>

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自宅待機が続き、どんよりとした気持ちになりがちな、今日この頃。 そんな状況の中でも、春を感じてもらえたらと思い、ZOOMによるイベントを開催しました! 最後に参加者の感想も載せているので、是非読んでみて下さい。 イベントは、このような手順で開催しました。 ステップ0: 蕨を収穫し、参加者の自宅に配送!イベント前日に、蕨が到着。 ステップ1: 午前10時~11時半にZOOMを繋ぎ、参加者とともに蕨の灰汁抜きに挑戦しました。 解説者は、高田。 それぞれがキッチンで鍋やボウルなどの道具を準備し、一緒に灰汁抜きする経験は、もちろん初めて! 新鮮な光景で、面白い時間でした。 【パソコンのカメラに向かって、灰汁抜き方法を説明!】 ステップ2: 灰汁抜きが終わったあと、各自で調理。 (ここではZOOMは繋ぎませんでした) ステップ3: 20時までに調理を終え、再びZOOMで集合。 それぞれ、何の料理を作ったか紹介しました。 個性あふれる料理に感動。どれも美味しそうでした! (すごくないですか?!予想を超えていました…。) 蕨料理を頂き、お酒を飲みながら、楠クリーン村の活動紹介や、それぞれが抱えている問題や、他愛のない話まで…様々な話が飛び交いました。 イベントに参加したことがきっかけで、状況が落ち着いたら、インターンシップに参加したいという学生もいました! 文章とは全く異なる発信で、面白いし、勉強になりました。 家でひとりでいることは、想像以上に精神的ダメージを受けることも、学生の話から伝わってきました。 特に、就職活動がストップしている4年生は大きな不安を抱えています。 今、露わになっているように、人間が作り上げてきたシステムは、非常に高いリスクに晒されています。 昔から気付いていた人もいますが、はじめて混乱に直面している人も多いように感じます。 こうした状況の中で、今年もいつも通りに蕨を収穫できたことに感謝していますし、その喜びを、参加者をシェアできたことを、単純に嬉しく思いました! 私たちが何によって生かされているか、真剣に考える時間を与えられているように感じます。 自然に対する傲慢な要求を捨てない場合、それは一家心中を選ぶようなものと言っても、過言では

楠クリーン村通信/春号

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楠クリーン村通信の春号が完成しました!

シイタケ栽培の話

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シイタケ原木の菌打ち作業。 楠にしばしばイノシシや鹿などを持って来てくれる猟師のたっさんの別の顔。どうやら、本人は自宅でシイタケ農家をしているわけではないが、シイタケの栽培についてめちゃくちゃ詳しいらしい。 本当に、何者なんだろうかと考えてしまうほど、たくさんの顔を持つおじいちゃんだ。 そんなおじいちゃんから手ほどきを受けながら、シイタケの菌床を打ち込む穴をあけていく。最初は、指示にただひたすらに従いながら、おじいちゃんの指のさす先へ穴をあけてゆく。 ただ、黙々と…。 穴をあける木の太さ、皮の厚さ、そんなこんなを考慮しながら穴をあけてゆく。菌がしっかりと根を張るには皮が分厚いと時間がかかるらしく、皮の薄い部分が最適なんだとか。樹皮の表面を見た時にデコボコしているへこんでいる部分がそれである。穴と穴の間隔はおおよそ10~15㎝。木が太けりゃ、ちょっと間隔を狭くし、細けりゃ大きくとる。 段々慣れてくると、おおよそ要望の通りのところに言われずとも穴をあけられるようになってきて、「シイタケ農家に婿養子に行けるぞ!」と、お墨付きを頂けた。 シイタケ農家に興味がある人は是非、やってみてほしい。血縁関係込みで農家になれます。笑 いよいよ、穴が開いたら、今度は菌床を打ち込んでゆく。トントンと木に金づちの当たる音が心地よく、木魚でも叩いてるかのようないい音が響く。 原木を置く場所は、ある程度湿気があり、かつ風通しのいい場所である必要があるので、竹藪のそばへ。 風で竹がなびく、葉が擦れる、カタカタ、シャワシャワというのをBGMにトントン、カンカンと、金づちの音が響く。 えも言えぬような心地よい時間。打ち込み終わった端から、原木を互い違いにたてかけ、並べてゆく。 そうすることでどこからシイタケが生えてきても収穫しやすいんだって。 整然と並べ切られた原木の姿は壮観で、静かで竹の音がするばかりなのに、心は酷くザワザワと騒ぎ立てているような感覚があった。 実は、この作業の数日前に前の世代の原木から生えたシイタケをてんぷらにして食べており、それを私はいたく気に入っている。 それを思い返して、既に”美味しそう…”と、胸中でザワザワしていた。 普段口にする野菜や、肉や、キノコ、その他たくさんの食材、それらがどうやって育てら

理屈より大切なもの

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 今回僕がインターンで学び、感じたことはたくさんあるのですが、その中の二つについて書かせていただきます。 一つ目は「人の評価は行動からしか為されない」ということです。   長年僕は他者や自分について"理解しているか"ということを重視して、それに基づいた評価をしていたのですが、その根底には「ちゃんと分析できていて、状況が理解できているならば相応しい行動ができるはずである」ということを信じていました。 たしかに、ちゃんと理解していれば正しい行動が何かわかるはずで、正しい行動が分かっているならば、そのように行動するのが合理的です。しかし、理解しているからそう行動するはずであるというのは大きな間違いだったのです。 その事実に今回のインターンで直面しました。 些細なすれ違いにより初めの数日間他の人に上手く考えが伝わらなくてヤキモキしていた僕を救ったのは、小手先の考えや論理ではなく、なんとかして挽回するぞと必死になってした仕事でした。 自分の考えを長々と伝えるよりも、行動で示すことの方が圧倒的に有効だったのです。   一般的に人は社会に出て他者と何かを為すまでは自分の考えを行動に移すことが少ないので、理解から人を判断します。理解しているかどうかは社会に出るまでは重視されており、答案や口頭試問により絶え間なく判断され続けていて、それに慣れた人たちは「上手に理解して答えを出す」ようになるだと思います。 しかし、残念なことにそこに行動は伴いません。理解するところまでしか問われてないからだと思います。 考えに囚われすぎず、柔軟に行動していけるような人間こそが本当に評価されるのだと思いました。考えなんてものは空想にすぎず、考えが現実世界に表出したものである行動こそが重要なのかもしれないですね。   二つ目は「実感してみるって大切やなぁ」ということです。   土起こしや畝作りはもちろん、竹林の整地なんかもやったのですが、その大変さは人から想像とは全く異なりました。農業は中高年がやっているものというイメージもあり、「大変そうではあるけれどまあ正直なんとかなるだろう」、「腰が痛くなるとかいうのも年齢が原因じゃないん?」なんて思っていた僕に待ち受けていたのは、壮絶なる腰痛と筋肉痛でした。 土起こしをして石運びを終えた翌日は、腰が痛すぎて

恒子さんが、好きです

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僕が、このインターンで 1 番幸せだと感じた瞬間をお伝えしたい。 それは、この楠クリーン村で時々開催されている ” 恒子ランチ “ だ。 恒子ランチとは、楠クリーン村の近くに住む、恒子さんという素敵なおばあちゃんが、お昼ご飯を振る舞ってくれる時間のこと。 朝から農業や製造作業に集中した疲れを、恒子さんの笑顔とあったかいご飯が癒してくれる。 インターン期間中の 3 月 3 日には、恒子さんによる手巻き寿司の作り方レクチャーを受けながら、みんなで手巻き寿司を作った。 僕は、持ち前の不器用さを発揮し、恒子さんに思い出し笑いをされる程、笑われた。   すごく嬉しかった。できなかったを、「なぜ、できないの」ではなく、「仕方のない子だねぇ」とお茶目に言われているように感じられたからだ。普段、自分の不器用さで周りに遅れをとったり、何かを作っている時に思った通りの物を作り上げられなかったりすることがあった。 その時感じるのは、なんで、みんなと同じような説明を受けているのに自分だけ上手くいかないんだろうということ。 周りと比較して、できない自分に気まずさを感じることがあった。 でも、恒子さんに笑われた時は、全く逆の思い、こんなに笑ってもらえるのが、どこか嬉しい。辛辣なツッコミの言葉を言われているはずなのに、顔はすごい笑顔で、何度も「こうすれば完璧よ。」と丁寧に作るところを見せてくれる恒子さんは、「恒子先生!」と呼びたくなるほど…。 とても幸せな時間だった。 さて、巻き寿司の完成版を見ると一目瞭然、インターン生と恒子さん、どちらが作ったのか分かるだろう。笑   不格好に作られた巻き寿司も、否定することはなく、「ちゃんと教えたのに下手ねぇ」と笑いながら盛り付けてくれる恒子さんは本当に素敵だった。 恒子さんの温かさ、恒子さんの料理が並ぶ食卓の温かさは、村のみんなを笑顔にさせる雰囲気を作り上げていた。 今、楠クリーン村に常にいるスタッフは 5 人。 でも、その村に関わりを持ち続けている人は数え切れないくらい存在している。 恒子さんもその 1 人。僕は、実際にここに来たことで、それを知った。 「自給自足をしている村」という入口からここに来たが、そこには生きることって何だろ

豊かさの途上で僕らは何を思う。

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2月26日から3月6日にインターンシップに参加した、彦惣君の原稿が届きました! 楠クリーン村は、 自分たち大学生とそう年の変わらない大人達が、新しい当たり前を追求している場所。 自分たち人間の暮らしに本当に必要な物ってなんなんだろう? その問いに常に向き合い、それを世の中に還元しようとし続ける場所。 この場所に 10 日間インターンとして滞在し学んだことは大きく 2 つある。  【↑左奥が原稿を書いてくれた、彦惣君】 一つ目は、生きることの実体。 僕のように都会で暮らしていると、生きることに実感が伴わないように思われる。 それは、生きるためにしなくちゃいけないたくさんのことを、お金を払って他の人や機械にやってもらっているから、じゃないかと思う。 料理すること、食べ物を手に入れること、風呂を炊くこと、火をつけること、明かりを手に入れること、、、 挙げればきりがないけど、現代ではこれらを自分自身でやることはほとんどないし、この中には、楠クリーン村でさえできていないこともある。 自分の一日の行動を振り返り、その全てを自分の手だけでやることを想像してみると、大変を通り越して不可能なんじゃないかとすら思える。 現代っ子の僕は火の起こし方すらあやふやで、それは調理ができず寒さも凌げないことを意味し、最悪一日でコロンと死んじゃうかもしれない。 大昔の人はこれら全てを 1 人で、もしくは家族や友達と協力してやっていた。自立していた。 彼らにとって命は当たり前のものじゃなく、今日一日生き延びれるかもわからない、毎日がハラハラの連続で、生きることに必死だったんじゃないかな。 それでも僕ら人間は進歩して、どんどん生きることを簡単にしてきた。 そうすると毎日に余白が生まれて、より進歩することができた。 その途上に僕らはいる。 僕含め僕の周りの大学生達は、迷っている人がとても多い。 迷い考えることができるのは、今までの進歩のおかげ。 でも、毎日を必死に生きていた昔の人々と毎日に希望が持てない若者達のどっちが幸せなんだろう?とふと思ってしまう。 今更、昔の生活に戻った方がいいとは思わない。 でも、「生きることの大変さ」を知らずに、人生が楽だとい